大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和63年(刑わ)1066号 判決 1989年9月20日

主文

被告人は無罪。

理由

一1  本件各公訴事実の要旨は、次のとおりである。

被告人は、

第一  Aと共謀のうえ、昭和六三年二月上旬ころ、東京都江東区<住所省略>B製鋼株式会社東京製作所板ばね作業所において、C管理のトリエンを含有するシンナー約二一・三リットル(時価合計二五二九円相当)を窃取し、

第二  同年四月二〇日、同区<住所省略>D荘E方において、前記同様のシンナー約七リットルを、みだりに吸引する目的で所持し

たものである。

2  検察官は、本件各公訴事実に関する具体的事実について、大要次のとおり主張する。

被告人とA(以下「A」という。)及びその友人E(以下「E」という。)は、昭和六二年六月ころ都内で知り合い、以来三名でシンナーの吸引を行っていたものであるが、同年七月上旬ころ、被告人とAの両名が前記B製鋼板ばね作業所(以下「本件作業所」という。)からシンナー入りの一斗缶(以下単に「シンナー缶」ともいう。)二缶を盗み出し、当時、A及びEが同居していた前記D荘に搬入した。そして、同年一〇月一〇日ころ、Aが、右D荘から江東区<住所省略>のSハイツへ引っ越す時、右のシンナー缶のうちの一缶を持って行ったが、同年一二月下旬ころ、この缶をAの妻Fの知人であるGに譲渡した。また、被告人は、同年一〇月ころ、前記Kコーポヘ引っ越した後、右の残りの一缶を被告人方へ持ち込んでいたところ、一一月一八日ころ、被告人が勤務していた会社の社長Lにこれを発見されて取り上げられた。

そこで、昭和六三年二月上旬ころ、被告人、A及びEの三名は、当時Aが使用していた普通乗用自動車「コロナマーク[2]」(以下「マーク[2]」という。)をAが運転し、他の二名がこれに同乗して、本件作業所に赴き、被告人及びAが、同所でシンナー缶を一缶ずつ合計二缶窃取した(公訴事実第一)。その帰途、車中で被告人がEに被告人の窃取したシンナー一缶を預かってくれるよう依頼し、まず、Eの居住するD荘に行き、同所でEが下車し、同人が車のトランク内からシンナー一缶を取り出しD荘に搬入し、次いで、被告人の居住するKコーポに行って被告人が下車し、その後、Aが残りのシンナー一缶を同人の居住するSハイツに搬入した。SハイツのA方居室で押収されたシンナー一缶(昭和六三年押第九四六号の1)は、そのシンナー缶であり、また、Eから押収されたシンナー一缶(同押号の2)は、前記窃取の際Eが被告人から依頼されてD荘の居室に搬入保管していた前記のシンナー缶である(公訴事実第二)。

二  これに対し、被告人は、当公判廷において、右各公訴事実をいずれも否認し、以下のとおり供述する。すなわち、被告人は、Aと二人で、昭和六二年七月上旬ころ、本件作業所においてシンナー一缶を盗み、これをD荘まで持って行った。さらに同年一〇月二六日に、被告人、A及びEの三人で、本件作業所へ行き、同所でシンナー三缶を盗み、そのうちの一缶をKコーポの被告人方に搬入保管していたが、同年一一月一八日にLに取り上げられ、それ以来シンナーは吸っていない。そして、本件の昭和六三年二月ころは、Aに会ったこともなく、同人とシンナーを窃取した事実はない、また、Eにシンナーを預けた事実もないというのである。そして、弁護人も、右各公訴事実については犯罪の証明がなく、被告人は無罪である旨主張している。

三  検討するに、昭和六三年二月六日ころ、Aが、その頃仕事先の上司であるMから貸し与えられて使用していたマーク[2]を運転して本件作業所へ行き、同所においてシンナー二缶を窃取し、このうちの一缶をSハイツの自室へ持って行き、押入れ内に置いて所持していたこと、また、Eがその際、Aに同行して本件作業所へ行き、右窃取にかかるシンナー二缶のうちの一缶をD荘の自室へ持って行き、押入れ内に保管していたこと、前記押収に係るシンナー二缶(以下「本件シンナー」という。)が右窃取の二缶であることは、取調済の関係各証拠に照らし、明らかに認めることができる。

したがって、本件の争点は、第一に、本件シンナー缶の窃取に被告人も加わっていたか否か(公訴事実第一)、第二に、本件シンナー缶を被告人がEに預けたか否か(同第二)ということになるが、第二の点は第一の点を前提としているのであるから、結局、本件の争点は、昭和六三年二月六日ころ、A及びEが本件シンナー缶を盗みに行った際、被告人もこれに加わっていたか否かという点に尽きる。

これを証拠関係についてみると、証人A及び同Eが、「昭和六三年二月に被告人とAがシンナー缶を盗みに行き、Eはこれに随行した。しかし、昭和六二年一〇月には盗みに行っていない。」旨、右検察官の主張にほぼ沿う供述をしているのに対し、被告人の弁解は、前記のとおり「三人で盗みに行ったのは昭和六二年一〇月であり、昭和六三年二月の本件シンナー缶の窃盗には被告人は加わっていない。」というのであって、双方の供述は真向から対立する。

双方の供述は、犯行の時期の点を除いて、三人が揃って本件作業所に赴きシンナー缶を盗み出したこと、三人で行って盗み出したのはその一回だけであること及びその窃盗に赴くまでの経緯、犯行の具体的状況等の点については、細部にいたるまでほぼ一致していることに鑑みると、三人で本件作業所に赴きシンナー缶を窃取した事実が一回あったことは間違いないと認められる。問題は、それが、A及びEの供述する前記昭和六三年二月の本件シンナー缶の窃盗であったのか、それとも被告人の主張する昭和六二年一〇月の窃盗であったのかであるが、この点について右各供述のほかに決め手となる有力な証拠がない本件においては、これらの供述の信用性の検討に焦点が絞られることになる。

ちなみに、本件シンナー缶については、本件公訴提起後の補充捜査(昭和六三年七月一一日資料入手報告書)によって、その製造番号から、昭和六三年二月四日以降に本件作業所に納入された事実が判明するにいたり、したがってその窃盗の日時も右期日以前ではあり得ないことが明らかになった。しかし、本件作業所におけるシンナー缶の保管状況についてみると、同作業所には常時多数のシンナー缶が置かれていたが、数量確認が十分に行われておらず、窃盗被害が発生しても保管者側においてこれに気付かず、遡ってその確認をする手段もなかったことが窺われる(現に、被告人及びAの両名が敢行したことが明らかな昭和六二年七月のシンナー缶窃取については、保管者は全く気付いておらず、本件シンナー缶の窃取についても警察から照会があるまで気付かないままになっていた。)。このような保管状況に照らすと、本件シンナー缶の窃盗以前にも同種被害が発生していた可能性も否定し切れないところであって、被害状況等の客観的証拠の面から前記各供述の信用性に決着をつけるということのできない事案である。

四  そこで、まず、証人A及び同Eの各証言(以下同人らの「公判供述」ともいう。)、その他本件各公訴事実に対する積極的証拠について検討する。

1  A及びEの各公判供述は、A及び被告人の二人で、昭和六二年七月上旬ころ及び昭和六三年二月上旬ころの二回、本件作業所においてシンナー缶を窃取したが、昭和六二年一〇月には、シンナー缶を盗みに行っていないという点で一致していることを始め、昭和六三年二月の本件シンナー缶の窃盗については、Eも同行したということ、本件作業所までの往復に使用した自動車は四ドアのマーク[2]で、車中ではカセットテープで音楽を聴いていたこと、シンナー缶を盗んだ後は、最初にD荘の近くでEが降りたこと、その際、Eは作業服等を同車のトランクから出したことなど多くの点で一致がみられる。なお、司法警察員作成の昭和六三年七月二〇日付資料入手報告書及び証人Mの証言等によれば、右マーク[2]は、昭和六三年一月に、右Mの経営するM工業に納車され、その後、Aが使用するようになったものであること、及びその車には、カーステレオの設備のあることが認められ、それらは、右各証言と合致する。

2  次に、右両名の捜査段階からの供述経過をみる。

(一)  まず、Aの供述についてみると、逮捕された昭和六三年四月四日の直後においては、「友達からもらったもので盗んだものではない。」旨の供述をしていたものの、司法警察員に対する同月七日付供述調書謄本(以下、「司法警察員に対する供述調書を「員面」、検察官に対するそれを「検面」という。)には、「昭和六二年七月上旬と同六三年一月上旬との二回、被告人と共にシンナー缶を盗んだ。」旨の供述がみられ、以後、司法警察員、検察官いずれに対しても、多少の時期的な食い違いはみられるものの、右と同趣旨の供述を繰り返していることが認められる。そして、右供述は公判廷においても維持されており、その供述は大筋において一貫している。

(二)  また、Eの捜査段階における供述過程をみても、「昭和六二年一二月三〇日から翌年一月五日までの北海道旅行の後、被告人とAがシンナー缶を二缶盗みに行き、自分はこれについて行った。」という点では、当初から一貫していることに加え、昭和六三年四月二〇日の参考人としての最初の事情聴取(員面)の時点で、すでに、盗みに行った時使用した車はマーク[2]である旨供述していることが認められる。

(三)  右のとおり、両名の供述は、基本的な部分においてそれぞれ一貫性を有していることに加え、Aは昭和六三年四月四日に逮捕され同月二三日頃まで身柄を拘束されていたのであるから、Aは、少なくとも四月七日の供述の時点では、Eと供述を合わせるための相談をすることは不可能であり、また、Eも、四月二〇日の時点では、Aと相談することはできないにもかかわらず、右両名の供述が一致していることが指摘できる。

(四)  Eは、公判供述において、捜査段階では、自分の罪を免れるために、シンナーを吸っていない旨虚偽の供述をしていたことを認め、実際には、シンナー吸引を継続しており、二月に窃取した本件シンナー缶のシンナーも多数回吸っていた旨証言するに至ったが、それでも、二月に三人でシンナー缶を窃取したという点については供述を翻さず、終始一貫していることも指摘できる。

このような供述経過に鑑みると、右両名の公判供述は、相当程度の信用性を有しているとみることもできる。

なお、右両名の捜査段階における供述では、本件シンナー缶窃取の時期が、終始「昭和六三年一月」となっているが、前述のとおり、本件公訴提起後の補充捜査によって、本件各シンナー缶は昭和六三年二月四日以降に本件作業所に納入されたものであること、したがって犯行日についての右供述は誤りであることが判明した。しかし、この点の食い違い自体は、両名の単なる記憶違いとして考えることができる。

3  Aの妻である証人Fは、当公判廷において、「二月上旬ころ、Aが、シンナー一缶を持って帰宅したが、その時、Aは『かっぱらってきちゃった。』と言っていた。」、「その後、『Eと被告人も一緒だった。』とAから聞いた。」旨証言し、Aの公判供述と符合する供述をしている。

4  証人Nは、昭和六三年四月一五日ころ上京し、D荘のE方に住むようになったが、上京した日に、Eから、「Aは、おれと『函館の大野のやつ』と工場からシンナーをかっぱらってきた事件で警察に捕まっている。」旨聞き、また、その二日後に、D荘の押入れに本件のシンナー缶があるのを見つけ、Eに、「まだやっているのか。」と聞いた際、Eが、「今はもうやっていない。これはおれが預かっている。」などと言った旨の証言をしている。E自身も、公判廷(第一四回公判)において、右と同様の証言をしている(右の「函館の大野のやつ」とは、大野町出身の被告人のことであることは、Eの証言等から明からである。)が、これは、先のA及びEの証言と符合する内容のものということになる。

5  被告人は、逮捕(昭和六三年四月二〇日)の直前及び直後においては、捜査官に対し、A及びEの両名と共に本件作業所からシンナー缶を窃取した事実を認めつつも、その時期については、「昭和六二年一〇月」であるとして、昭和六三年「一月」の犯行を否認していたものの、その後、四月二六日員面からは「一月」の犯行を認める自白に転じ、以後、捜査段階ではその自白を維持し、起訴後も、現在の弁護人による第一回の接見(昭和六三年六月一一日ころ)までは、その犯行を認める言動をしていたことが認められる。

また、捜査段階の右各自白調書の内容についてみると、昭和六二年七月及び昭和六三年一月に二缶ずつ盗んだ点を始め、「一月」の件における本件作業所へ行くまでの経緯についても、被告人がE方へ行き、その後、Aを誘って、Aの使用していた「青い車」に乗って右作業所へ行ったという点は、大筋において、A及びEの供述と合致していること、また、窃取したシンナー缶をEに「その日に」預けたということは、被告人が一番最初に供述していることなどが認められる。

以上のような証拠関係に照らせば、A及びEの各公判供述は、その主要部分において一致がみられ、その内容も具体的であるうえ、捜査段階から一貫している部分が多いことなどから十分信用するに値するかのようであり、また、被告人の自白調書も右各供述と大筋において一致するうえ、AやEがいまだ供述していない事柄についての供述もみられることなどから信用できるようであって、被告人が、二月上旬に、A及びEと共に本件シンナー缶の窃盗を行い、かつ、そのうち一缶をEに預けたことの嫌疑は極めて濃厚であるといわなければならない。

五  しかしながら、他方、右各供述その他の関係各証拠を仔細に検討すると、その信用性を十分であるというにはなお疑問があるといわざるを得ない。

1  まず、Eの公判供述をみる。

(一)  捜査段階において、「シンナーは、最初(昭和六二年六、七月当時)二、三回吸って頭が痛くなったので、その後は全然吸っていない。」旨供述していた点について、公判廷においては、「自己の罪を軽くしようと思って嘘をついた。」、「昭和六二年二月以降も、シンナーを二、三〇回吸っている。」旨供述し、シンナーの吸引を継続していたことを認めるにいたった。

この点に関するEの公判供述は、きわめて重要である。「本件シンナー缶の窃取はAと被告人の二人が行ったもので自分はこれに随行したにすぎない。」、「本件シンナー缶を被告人から頼まれて預かっただけである。」とのEの捜査段階における供述は、「当時同人がシンナーを全く吸引していなかった。」との供述を前提ないし根拠にして組み立てられているものであり、司法警察員もそのことを理由にEについて事件送致をしなかったものと窺われるところ、Eは、公判において、その前提が嘘であったこと及びそれが自己の刑責を軽くするためにした嘘であることを自認したのであって、同人の捜査段階における前記供述は、その重要な前提根拠を失い、本件シンナー缶窃取について被告人の関与を供述したのも、自己の刑責を免れないし軽減するために作りあげた嘘ではないかとの疑いを生ずるのである。Eは、公判供述においても、「本件シンナー缶窃盗に被告人が加わっていた。」、「本件シンナー缶は被告人から預かったものである。」との点は維持しているが、その信用性については、右の見地から疑問を投げかけなければならない。

(二)  また、Eの公判供述は、被告人から本件シンナー缶を預かったときの状況について、「窃盗後の帰途の車中において、被告人から保管を頼まれたので、D荘で降車した際、トランクからシンナー缶を持ち出してD荘に搬入した。」旨述べているのに対し、Aの公判供述は、その状況を否定し、「D荘でEが降車した後、被告人のアパートに行き、そこで被告人が降車し、その際被告人がトランクを開けてシンナー缶を持って自宅の方に歩いて行った。」というのである。右の点は、窃盗の犯行直後の状況であるのみならず、被告人が本件シンナー缶をEに預けたという、本件犯罪の根幹をなす事項についてのものであるが、このような重要な点について、Eの公判供述は、Aのそれと大きく矛盾するものとなっている。

Aは、捜査段階から右と同様の供述をしているのであるが、Eのこの点に関する捜査段階での供述をみると、まず、最初の員面(四月二〇日付)で、すでに、被告人からシンナー缶を預かった旨の供述がみられるが、右員面及び同月二六日付検面では、これについての具体的な日時・場所・内容の供述はみられず、五月五日付員面において初めて、「窃取した日には預かっていない。二週間位後に被告人がD荘に持参してきたので預かった。」旨供述し、A供述と整合する供述をしている。しかるに、五月八日付員面で、捜査官から被告人供述との不一致を追及されるや(当時被告人は、「窃取の当日にEに預けた」との自白をしていた。)、「よく思い出すことができないが、当日預かったのかもしれない。」旨供述をぼかしたうえ、同月九日付検面では、「窃取した日に、自分(E)が車から降りると、被告人も降りてきて、預かってくれと言った。」旨供述を変更するにいたり、公判廷では、「帰路の車中において預かってくれと頼まれた。」旨供述をさらに変転させている。

Aの公判供述との前記のごとき矛盾に加えて、Eにとって自らの刑事責任の有無を岐ける重要な事項について、捜査段階から右のごときあいまいかつ変転した供述をしていたことは、「被告人から預かった」旨の同人の公判供述の信用性に強い疑問を抱かせるものである。

(三)  そのうえ、第一四回公判においては、Eは、被告人のD荘への来訪状況及びシンナー吸引状況について、「本件シンナー缶窃取の後も、被告人は二、三〇回D荘に来てそのシンナーを吸っていた。」旨の従前の証言を翻し、「二月ころからは、被告人は、あまりD荘に来なくなっていた。」、「来たのは、せいぜい二、三回位である。」、あるいは「はっきり記憶していない。」などときわめてあいまいな証言をするにいたっている。被告人が、自己の吸引目的で本件シンナー缶の窃盗に加わり、そのうちの一缶をEに預けていたのだとすれば、被告人はその後同人方に出入りしてこれを吸引するはずであるから、本件シンナー缶窃取後に被告人がD荘に出入りしていたかどうかは、被告人が本件シンナー缶の保管をEに依頼したかどうか、ひいてはその窃盗に加わっていたかどうかについての重要な情況証拠であるところ、この点について被告人はこれを強く否定していることに加えて、唯一の積極証拠であるEの供述も右のとおり変転し、あいまいなものになっていることに鑑みると、被告人が右の窃取時にD荘に出入りし、同所でシンナーを吸引していたとの積極認定はできないのみならず、むしろ、右の当時被告人はD荘への出入りをしていなかった疑いが出てくるのである。

2  Aの公判供述については、E証言と相違する点を除き、大きな変転・矛盾は見られず、その一貫性から、一見信用性が高いように見える。

しかし、Aの捜査段階の供述経過をみると、四月四日付員面(弁解録取書)では、昭和六二年一二月にGに譲渡したシンナー缶及び逮捕当時自宅に隠匿所持していた本件シンナー缶の双方について、「友達からもらった。」旨供述しているが、同日付員面において、すでに、Gに譲渡したシンナー缶は、被告人と一緒に本件作業所で窃取したものである旨供述しているのに対し、本件シンナー缶については、同月四日付員面及び同月五日付検面(弁解録取書)においても、まだ「友達からもらった。」旨の供述を続けており、同月七日になって初めて「一月」に被告人と盗んだ旨供述するに至っている。なお、この日の供述においては、「Eは最初のころシンナーを二、三回吸ったが頭が痛くなったのでその後はシンナーを吸うのをやめている。」として、「Eは現場について行っただけ」で本件シンナー缶の窃取について責任がないこともあわせて供述しており、以後、公判段階を含めてその供述をほぼ一貫して維持しているのであるが、実際は、Eがシンナー吸引を継続しており、本件シンナー缶窃取後もそのシンナーを多数回にわたり吸引していたことは前述のとおりであって、Aの供述はその点において虚偽が含まれていたことは明白である。

このような供述経過に鑑みると、Aは、Eをかばうためもあって、本件シンナー缶の窃取について、当初あいまいな虚偽供述をし、その後窃盗を認めるに当たっては、Eの代わりに被告人を共犯者に仕立てあげたという疑いもないではないのである。

したがって、Aの供述が捜査・公判を通じて一貫していることをもって、直ちにその信用性を過信することは許されないものといわなければならない。

3  その他の証拠についてみるに、まず、前述のFの証言については、Aが二月上旬ころシンナー缶を自宅に持ち帰ったことについて、その後、「被告人とEと三人で盗みに行った。」とAから聞いた旨証言するものの、これを聞いた日付については、あいまいな証言をしており、必ずしも判然とはせず、Aの供述の信用性を増強するものとは言い難いものである。

また、Nの証言についても、結局は、Eの供述の伝聞を内容とするものであるから、E供述の信用性の問題に還元される。なお、Eは、Nに本件シンナー缶を見つけられた際、「シンナーはもう吸っていない。」と言ったことが認められるが、Eは、公判廷において、その当時もシンナーを吸っていたのに、Nに対して嘘をついたことを認めている。そうだとすると、「本件シンナー缶は被告人から預かっているものである。」旨の発言も、右の嘘を隠すための説明にすぎないとの推測も不合理ではないことになるのであって、右N供述をもって、Eの供述の信用性を補強するとは必ずしも言えないのである。

六  次に、被告人の供述の信用性について検討する。

1  被告人は、当公判廷において、「昭和六二年一〇月二六日ころ、A及びEと共に、当時Aが使用していた青色のカローラで、本件作業所ヘシンナー缶を盗みに行き、三人で一缶ずつ盗み、帰路は、最初に被告人方へ行き、被告人は、シンナー缶一缶を持って降り、Kコーポの自室へ持ち込んだ。」、「同年一一月一八日、右シンナー缶をLに発見されて取り上げられた。」、「昭和六三年二月の本件シンナー缶の窃盗には加わっていない。」旨一貫して供述する。

そして、Oの員面及び公判廷における証言、L及びEの各証言並びに昭和六三年五月一日付資料入手報告書等を総合すれば、被告人の右供述のうち、昭和六二年一〇月二六日ころに被告人がシンナー一缶をKコーポの自室に持ち込んだこと及び一一月一八日にシンナー缶をLに発見されて取り上げられたことは、間違いないものと認めることができる。

2  もっとも、検察官は、昭和六二年一〇月に被告人がKコーポの自室に持ち込み、Lに取り上げられた右シンナー缶は、同年七月に被告人とAが窃取した二缶のうちの一缶である旨主張し、F及びEも、当公判廷において、「右シンナー缶は、七月に盗んだものであると思う。」旨それぞれ供述している。そして、前述のとおり、七月に、被告人及びAがシンナー缶を窃取し、これをD荘に持ってきたことは証拠上明らかであるが、E及びAは、当公判廷において、「七月ころから一〇月ころにかけて、D荘にはシンナー缶は一缶しか見当たらなかった。」、「Aが、一〇月一〇日にD荘からSハイツに転居する際、その一缶を持って行った。」旨供述し、またEは、「秋ころ被告人にシンナー缶を渡した覚えはない。」旨供述しているところであって、一〇月にシンナー缶を被告人がD荘から持って行ったことを裏付けるに足る証拠は存しない。もし、検察官主張のとおり、被告人が、七月に窃取したシンナー缶を一〇月二六日ころKコーポの自室に運びいれたのであるとしたら、被告人は、それまでの期間そのシンナー缶をD荘以外の他の場所に保管していたことになるが、そのような場所は証拠上は見出せないのであって、七月から一〇月まで被告人がどこにそのシンナー缶を置いていたのかという疑問が残る。

なお、被告人の四月二六日付員面及び同月二八日付検面には、「被告人が、一〇月上旬ころD荘からKコーポにシンナー缶を持って行った。」旨の供述がみられるが、右同様何らの裏付けもなく、また、Oの供述とも日付の点で矛盾するのであって、右供述はにわかに措信できず、したがって、この疑問点を解消するものとはならない。

また、そもそもAと被告人が七月に窃取しD荘に持ってきたシンナー缶が二缶であったのかどうかについても、捜査段階においては、被告人、A及びEの三名ともに二缶である旨供述し、A及びEは公判廷においてもその旨供述しているのであるが、Aの公判供述によると、自分が盗んだ一缶をD荘に搬入保管した点は明確であるものの、被告人が盗んだという一缶の行方については当時から不明であったというものであり、さらに、Eは、当初の公判供述において「A及び被告人の二人が七月に盗んできた二缶をD荘に搬入したのが二缶であることを目撃している。」旨供述していながら、その後の公判供述においては、「二人で盗みに行ったから二缶窃取してきたと思っただけで、D荘へ二缶持ってきたのを見たというわけではない。」旨供述を変更しているのであって、七月に窃取してきたシンナー缶が果たして二缶であったのかどうかについても、必ずしも明確ではないのである。

以上の諸点に鑑みると、昭和六二年一〇月二六日ころ被告人がKコーポの自室に搬入し、同年一一月にLに取り上げられた一缶が、七月に盗んできた二缶のうちの一缶であるという検察官の主張は、確たる裏付けに欠けるといわなければならない。

3  次に、「Aらとシンナー缶を盗んだのは一〇月である。」旨の被告人の供述がなされるにいたった経過について検討するに、被告人は、本件による逮捕の前日(昭和六三年四月一九日)検察官に初めて事情聴取を受けた際に自らシンナー缶を一〇月に窃取した旨供述し、さらに、本件逮捕直後の同月二〇日付弁解録取書、同月二一日付員面、同月二二日付検面、同月二三日付勾留質問調書において、いずれも、右と同様の供述をしていることが認められるが、被告人は、Aとシンナー缶を窃取したこと自体は認めているのであるから、この段階では、細かい点は除き、Aの捜査段階での供述との差異は、窃取した日付の問題だけとなる。

そして、前述のとおり、本件シンナー缶が、同年二月四日以降に本件作業所に納入されたものであることは明らかであるが、そのことは、本件公訴提起後における補充捜査によって初めて判明したことであって、捜査段階においては、被告人はもちろん捜査官すらもその事実を知ってはいなかったのであるから、「シンナー缶を窃取したのは、『一月』ではなく、前年の一〇月である。」という弁解をしても、自己のなしたシンナー缶窃盗の被疑事実の罪を免れることはできないと考えざるを得ない状況にあったのである。にもかかわらず、被告人は、捜査官から事情聴取を受けた当初から、シンナー缶の窃取は一〇月である旨供述しているのである。すなわち、被告人は、右供述当時、逮捕された被疑事実については、日付の点を除いて認めていたことになるのである。しかも、四月一九日の逮捕前日から、同月二三日の勾留質問に至るまで、同様の供述を繰り返しており、四月二六日付員面以後一旦は「一月」である旨供述を翻しているものの、公判廷においては、再び捜査段階の当初と同趣旨の供述をしていること、四月二一日付員面をはじめとして、その被告人の供述内容は具体的かつ詳細であることなどをも併せ考えると、被告人の右供述を、罪を免れるための単なる虚偽弁解として排斥することには、躊躇を感じざるを得ない。

4  また、O及びEの各証言、被告人の公判供述及び弁護人提出の日報等によれば、昭和六三年一月三〇日ころ、A及びEが、被告人の留守中に被告人方を訪れたことが認められる。そして、被告人の内妻Oは「彼(被告人)が仕事から帰ってきてからそのことを話すと、『もう付き合いたくないから、もし、また来たら断れ。』と言った。」旨証言している。のみならず、前述のとおり、Eも、第一四回公判において、昭和六三年二月当時被告人がD荘に来訪しなくなっていたことを肯定する趣旨の供述をしている。さらに、被告人の雇主であるP及びLらも、被告人の生活態度について、昭和六二年一二月以後生まれ変わったように真面目に働くようになった旨証言している。これらは、被告人が、「昭和六三年になってから、A・Eと付き合っていない。」と供述するのと符合しているのであって、二月に本件シンナー缶をA及びEと共に窃取したことを否認する被告人の弁解を補強するものであると言える。

5  被告人は、昭和六三年四月二六日付員面において、従前の供述を変更して、犯行日は「昭和六三年の一月中旬ないし下旬である。」旨供述するに至っているが、この時期の特定ないし供述変更の理由については、「もし前年の一〇月とすれば、七月に盗んだシンナー缶との関係で数が合わなくなるから、犯行日は、L社長に見つかってシンナー缶を取り上げられた後である。」旨の理詰めの供述がみられるのみで、他に何ら具体的な理由も供述しておらず、しかも極めて漠然としている。

被告人は、右のごとき供述変更をした理由について、当公判廷において、「Aとシンナー缶窃取を行った事実自体は間違いないところであるし、女房子供のことを考えると早く出なければならないという気持もあり、Aも釈放されて在宅になったからAの供述に合わせた調書さえできれば、事件も早く解決して釈放されるのではないかと考え、刑事さんの言うとおりに合わせた。」旨供述している。

これについて検察官は、被告人には、シンナーに関する懲役前科(執行猶予付)もあるのだから、Aと供述が合えば釈放されるなどという考えが生ずる余地はないはずであり、被告人の「ためにする弁解」にすぎない旨主張する。

しかしながら、現にAは、右供述変更直前の四月二三日に処分保留のまま釈放されているのであり、このことを被告人は取調官から聞いていたというのであるから、Aが、処分保留のまま釈放されたのであれば、自分もまた、Aと供述が合いさえすれば釈放されると考えたとしても、あながち不合理とはいえないと考えられるのであって、被告人の右弁解をたやすく排斥することはできないと言わなければならない。

七  以上検討したとおり、「昭和六三年二月の本件シンナー缶窃取に被告人も加わっていた」とするA及びEの各公判供述並びに被告人の捜査後半段階における供述調書の信用性には、前述のような疑問点が残っており、「A、E及び被告人の三名が揃って本件作業所に赴きシンナー缶を盗み出したのは、昭和六二年一〇月であって、本件シンナー缶窃取のときではない」とする被告人の捜査段階当初からの供述の信用性もあながち否定し切れないところがある。しかる以上、本件各公訴事実を積極的に認定するにはいまだ合理的疑いが存するといわざるを得ず、本件各公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するので、刑訴法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡しをする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡邊忠嗣 裁判官 舘内比佐志 裁判官 長谷川憲一は差支えのため署名押印することができない。裁判長裁判官 渡邊忠嗣)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例